Vol.1|もっとお金があったら、と思った日。

ときめく人生

2026年8月13日。

この日はきっと、
これから先も忘れられない日になると思う。

私はこの日、手術を受けた。
人生で初めての全身麻酔。
手術自体は10分程度で終わる簡単なものだった。

なかなか麻酔がきかなくて、しばらく天井を眺めていたが
次の瞬間には、名前を呼ばれて目が覚めた。

手術が終わったら、お盆休みは美味しいもの食べて
ゆっくり身体を休めよう。
何もしないでのんびり過ごそう。

そんなふうに思っていた。

でも、その日の夜。
想像もしなかったことが起こった。

集中豪雨で、実家が浸水したのだ。

家の中に水が入り
床や畳はめくれ上がり
家具も家電も、そして車も被害を受けた。

家の中には物が散乱して
泥水と下水が混ざったような強烈な臭いが充満した。

翌日、実家へ向かった私が見たのは

私が知っていた「実家」とは
まるで違う光景だった。

「もっとお金があったら・・」

家を元に戻すためには

床や壁を修繕して
壊れた家具や家電を買い直して
車もどうにかしなくてはいけない。

これから見積もりを取らなければ
正確な金額はわからないけれど

生活そのものを元に戻そうとすれば、
数百万円単位、被害の状況によっては
さらに大きなお金が必要になるかもしれない。

そんな現実を目の前にしたとき
私の中から真っ先に出てきた言葉があった。

「もっとお金があったら。」

もし私にもっと経済力があったら、

「修理代は私が出すよ」
「家電も買い直そう」
「車のことも心配しなくていいよ」

って、家族に言えたのに。

お金で解決できる問題なら
サクッと解決してあげられる自分でいたかった。

でも現実の私は、
そんなふうに何百万円というお金を
さらっと差し出せない。

それが、ものすごく悔しかった。

私は、何のために豊かになりたいんだろう?

私は以前から、

もっと自由になりたい
もっと豊かになりたい
もっと経済力をつけたい

そう思ってきた。

好きな場所へ行きたい
世界を旅したい
好きなものを選びたい

やりたいことを
「お金がないから」という理由で諦めたくない。

もちろん、そんな理由もある。

でも今回、家族が突然大きな被害に遭ったことで
自分でも気づいていなかったもうひとつの理由が
ものすごくはっきり見えた。

私は、

大切な人を守れるだけの力が欲しかった。

何かあったとき
一緒に途方に暮れるのではなく

「大丈夫だよ」と言える人でいたかった。

お金で解決できることなら
迷わずお金を出せる自分でいたかった。

だから私は、こんなにも「経済力」に
こだわっていたのかもしれない。

手術をした日に、実家が浸水した

そして、もうひとつ。

あとから考えてみると、
この出来事が起きたタイミングも
私にとって、とても印象的だった。

8月13日。

自分自身が手術を受けたその日に
実家が水に浸かった。

さらに、その日は新月だった。

新月はスピリチュアルな世界では

「リセット」
「手放し」
「新しいサイクルの始まり」

などを象徴するとも言われている。

そして「水」は、

感情や潜在意識
浄化の象徴として扱われることがある。

もちろん、

「新月だったから災害が起きた」
という話ではないし

災害そのものに意味があったと
言いたいわけでもない。

でも、

この出来事をきっかけに
ずっと自分の奥にあった感情が
一気に表面へ出てきたことは

私にとって、とても象徴的だった。

ノートを開いてみた

少し落ち着いてから、私はノートを開いた。

「私は、なぜこんなに悔しいんだろう?」

「なぜ、こんなにもお金が欲しいんだろう?」

「そもそも私にとって、“守る”って何?」

思いついたことを、何ページにもわたって
ひたすら書いた。

すると、

今回の水害とはまったく違う
ずっと昔の記憶が出てきた。

それは、私が小学生だった頃のこと。
大好きだった祖母のことだった。

「あぁ……」

今回感じたこの強烈な悔しさが
今回だけのものではなかったことに気づき始めた。

私はずっと、

「もっとお金が欲しい」
と思っていた。

でも、

その奥にあるものを
ひとつずつ辿っていったとき
問いそのものが変わっていった。

私が本当に欲しかったのは、
“お金”だったのだろうか?

 

次回は、私の中にずっとあった

「大切な人を守りたい」

という気持ちについて
もう少し深く書いてみようと思います。

 

次回のテーマはこちら▼
Vol.2|「守る」って、自分を犠牲にすること?

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